fete a l'Instuut 1932 recadreInstitut a Kujoyama

 

 

 

 

 

 

 

 

九条山時代の貴重な写真、新館落成式の華やかな様子、戦時中の活動報告書や新聞記事、藤田嗣治や湯川秀樹の署名が残る芳名録、昔のフランス語の教科書など、90年の歩みをパネルや資料で振り返る、初の展覧会です。

古い資料の多くは戦時中に紛失しているため、京都大学人文科学研究所の多大な支援により、フランスの外交文書館を訪ねる等、数年にわたる調査が行われました。その成果を元に、とりわけ九条山時代(1927年~)から戦時中の活動に焦点を当ててご紹介します。

90年の歩みを、多くの皆様にご覧いただけましたら幸いです。

 

10月25日(水)~ 11月12日(日)無ss題
火~土: 10:00~19:00 ※10月28日(土)は15時まで
: 10:00~15:00、月・祝休

会場:アンスティチュ・フランセ関西―京都 サロン、入場無料

主催:アンスティチュ・フランセ関西
協賛:稲畑産業株式会社株式会社堀場製作所、京都日仏協会、公益財団法人 稲盛財団株式会社大林組一般財団法人 本願寺文化興隆財団
協力:京都大学人文科学研究所「みやこの学術資源研究・活用プロジェクト」

 

アンスティチュ・フランセ関西(旧 関西日仏学館)の歩み

■ 夏季学校から、恒久的なフランス文化施設の設立へ

関西日仏学館の設立を提唱した当時の駐日大使ポール・クローデルは当初、比叡山に夏季限定の学校を作る予定でした。大阪商工会議所会頭 稲畑勝太郎の呼びかけで設立の準備が進められ、集まったのは東京の日仏会館設立時の2倍を超える寄付金。一時的な夏季大学構想は、恒久的な施設の設立へ結びついたのです。

 

■ 1927年 「フランスが来ている、諸君の前に」

九条山に建設された関西日仏学館は、フランス政府が運営する日本で初めてのフランス語学校です。「フランスが来ている、諸君の前に」のキャッチフレーズのもと、学館は学者や学生で溢れていました。音楽会、詩の朗読会などが催されると、京阪神の名士やドイツ、英米、ロシアの人々も集い、国際色をいっそう豊かにしました。

 

■ 1936年 新館の建設

1936年5月に新館となる現在の建物が建てられました。隣には既に独逸文化研究所が建っており、フランス政府が威信をかけて新館を建設したことが当時の資料から伺えます。関西財界が資金を提供、フランス政府が運営する「クローデル方式」で建てられたこの建物は、まさに日仏友好のシンボルです。

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■ 華やかな新館 落成式 豪華な調度品

1936年5月、東久邇宮を迎えた落成式が華やかに執り行われました。学館を飾ったのは、フランスから送られた多くの家具や調度品。今も残る家具の一つが、ルルー作の「Boudoir」です。藤田嗣治の大作「ノルマンディーの春」もこの時に寄贈されています。

 

■ 1940年 独仏の対比

1940年、ドイツ軍によってパリが陥落すると、隣接する独逸文化研究所にはナチスの旗が掲げられました。新聞では「都大路に軒を並べてー描く悲喜双曲~興奮の日仏学館と平静の独文化研究所」など、両国の施設を対比した記事が掲載されています。

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■ 戦時中の活動 ~ 「平和の小島」として

いかなる逆境にもめげず、平和の小島としてとどまろう日仏文化親善のかぼそい証でありつづけよう」。オーシュコルヌ(フランス語講師)の言葉通り、学館は戦時中もフランス語、フランス文化の授業を続けました。“ブラック・リスト”に載る仏人作家も取り上げ続けます。しかし1945年、ついに軍の作業場として接収。教職員2名が拘束される事態となります。

終戦後、荒れた館内を4ヶ月かけて整えた後、学館は活動を再開しました。

 

~芳名録~5 livre d'or

1927年から1961年までの署名が残る、関西日仏学館の昔の芳名録。学館で講演したアンドレ・マルロー、受講生だった湯川秀樹、自信のスケッチを描いた藤田嗣治、日本画家の竹内栖鳳など、錚々たる文化人の署名が残ります。当時の日仏交流を知る貴重な資料です。

 

 

 

 

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  • 2017-10-25 - 2017-11-12
  • 00:00
  • 入場無料
  • 075-761-2105
  • アンスティチュ・フランセ関西―京都
    京都府 京都市 左京区吉田泉殿町8