『秋の霧』
1929 年/12分/35mm(修復版)/モノクロ/ サイレント(伴奏入り)
監督:ディミトリ・ キルサノフ
出演:ナディア・シビルスカヤ

ロシア出身で パリで活躍したディミトリ・キルサノフのシュルレアリスム映画。大自然と一人の女が重なり合ってゆく。ディミトリ・キルサノフの妻であるナディア・シビルスカイアが主演している 。

「20年代フランス前衛映画の逸品の中でも、ディミトリ・キルサノフの短編は、感情と結びついたものたちが高揚し――『メニルモンタン』の野生に戻された都市や、哀愁に満ちた『秋の霧』の人間味を帯びた沼――、儚さや移行のアートによって、映画の詩学への扉を開いている。「映画=ポエジー」と「映画=シンフォニー」の間で、『秋の霧』はたちどころに造形的で、音楽的なフォルムを示し、ドラマ(ひとつ存在している)はひとつの粗筋に還元されている。それは別れの手紙である。フランス映画史上最も美しい女優、ナディア・シビルスカイアの目に涙を浮かべた顔は、恍惚の愛をもって見つめられている――ゴダールの『女と男のいる舗道』のアンナ・カリーナやガレルの『孤高』のジーン・セバーグより30年以上も前である。しかし、とりわけ彼女の涙は世界全体と絡み合うのだ。手紙が火の中で燃えている間、彼女の涙を雨、厚い雲に変えるために、編集によって並行、そして一致――燃える手紙と映像による存在――が結びつけられる。しずくは空や地を覆い尽くす、無限に続く愛の喪による死の水となって。しかし別れの重みは葉の落下のよう穏やかなものになってゆく。」フロラン・ゲゼンガール

フィルム提供:シネマテーク・フランセーズ

 

『混血児ダイナ』
1931 年/48分/35mm/モノクロ/無字幕・日本語同時通訳付
監督:ジャン・グレミヨン
出演:シャルル・ヴァネル、ハビブ・ベングリア、ローランス・クラヴィウス、ガストン・デュボス

夫に同行して豪華客船で旅をしている混血児ダイナは、悩ましいまでにエキゾチックな魅力を漂わせていた。ある晩、人影のないデッキの上で、ダイナはひとりの機械工を軽い気持ちで誘惑するが、無理やり犯されそうになったので、肩に噛みつき、逃げ出す。翌日、ダイナは姿を消す。捜査は足踏み状態となるが、夫は真実を見抜いていた…。「父帰らず」(’30)に続くジャン・グレミヨンのトーキー第2作で、グレミヨン作品の中でも最もミステリアスな作品の一本と言えるだろう。

「レオス・カラックスが、トーキー映画への黎明期であった1930年に撮られたジャン・グレミヨンの『父帰らず』への愛着を口にしたのがどんな機会だったのか覚えていない。しかし『ボーイ・ミーツ・ガール』を発見した際に、彼のその愛着が感動的なまでに明白に思えたことだけは覚えている。ヴィゴ、ルノワール、デュヴィヴィエによってすべてが可能に思えた1930年と、政治的に厳しかった70年代が終え、再び映画を信じなければならなかった80年代の間には、カラックスにとっては、ヌーヴェル・ヴァーグと『女と男のいる舗道』のやはりモノクロのアンナ・カリーナの出現しかなかった。グレミヨンの映画の数多くの側面をカラックスの詩的世界の源泉として感じることはたやすいだろう。とりわけ映像というマチエールについてそれは感知できる。」ドミニク・パイーニ

 

※上映後、ステファヌ・ドゥロルムによる講演会あり。

 

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  • 2013-01-26 - 2013-01-26
  • 17:00
  • 一般1200円/学生800円/会員500円
  • アンスティチュ・フランセ東京 (03-5206-2500)
  • アンスティチュ・フランセ東京 エスパス・イマージュ
    〒 162-8415
    15 新宿区市谷船河原町 東京都

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