オルセー美術館所蔵作へのまなざし
哲学者エマヌエーレ・コッチャとともに
休館中のオルセー美術館による企画「Une semaine avec…」は、一人のアーティストが一週間、所蔵作品の中から毎日1作品を選び、解説をします。
第3週目は哲学者のエマヌエーレ・コッチャが担当し、お気に入りの7つの作品について語ります。
(「Une semaine avec Emanuele Coccia(エマヌエーレ・コッチャとの一週間)」は オルセー美術館による企画で、2020年4月6日〜12日にFacebook上で配信されました。)
アンスティチュ・フランセ東京では、「哲学の夕べ」オンライン・エディションとして、エマヌエーレ・コッチャと哲学者・星野太による「植物の生」をテーマとする講演会を近日配信予定。
オルセー美術館「エマヌエーレ・コッチャとの一週間」
1日目:エドゥアール・ヴュイヤール『ベッドにて』(1891年)
「最近の外出規制により私たちが経験している、家の中を支配している奇妙な物理的特性。それをこの絵画は、完璧に描いています。
外界と、室内の境界線とを一致させるとすぐに、時空が違った方法で形成されているように感じます。距離の感覚は失われ、遠近感は崩れ、物体はその物体自身の色の中に紛れ込んでしまいます。空間が、私たちの視覚に作用するのです。
この家全体が1か所、つまりベッドという、眠るというより夢見る場所に集中しているように見えるのはそのためです。室内全体は、現実を夢に変える力でしかないのです。」
2日目:ウジェーヌ・グラッセ『オークの木』(1890-1903年)
「科学と芸術の境界線は、私たちが思っているよりずっと、あいまいなものです。私たちは常に芸術を通して、生物界を理解してきたので。すべての生物種を理解し、把握し、それぞれの生物種のからだの形を想像するということは、その生物の外見を、細かなところまで自分のものにするということです。素描や絵画、彫刻といった媒介がなければ、生物学が存在することはないでしょう。しかしその逆もまた真実です。ウジェーヌ・グラッセがメモに書いているように、木を描くために、木がどんな構造をしているか考えることで、構成が植物的になるのです。つまり私たちは木々から、世界をどう築けばよいのか、学ぶべきなのです。」
3日目:オディロン・ルドン『ひな菊』(1901年)
「地面から離れているように見える花々。まるで輝く星雲に浮かぶ星のようです。ルドンのこの作品は、芸術家の気まぐれとは程遠いものです。これはむしろ、科学的に正しい診断なのです。
植物の生とは日光を取り込み、その日光を地球の無機質な肉体に吹き込もうとする努力でしかありません。どの植物も、地球を星に近いものにしようと、懸命なのです。そして植物―つまり草花のおかげで、私たちが空の一部をを食べ、探し求め、見いだすたびに、星の光が地球の物質に取り込まれるのです。」
4日目:チャールズ・レニー・マッキントッシュ『椅子』(1898年頃)
「物は空間を形作るものではありません。物は磁石であり、美しい歌声で私たちを呼び寄せ、気づかぬうちに私たちの体を捕らえてしまう、人魚のようなものです。どんな物もこの世界に磁気を帯びさせ、この世界を常に不安定な力場に変化させます。物を使うということは、この磁気のなすがままになることであり、反対に物をデザインするということは、磁気を意のままにするということなのです。
グラスゴーにあるアーガイル街のティールームのために、マッキントッシュが妻マーガレット・マクドナルドとともにデザインしたこの作品は、椅子というものを、カモメを呼んで椅子の使用者の心を見守らせる、守護神にしてしまいます。」
5日目:ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット『フォトジェニック・ドローイング』(1834年)と『自然の鉛筆』(1844年)の制作のために使われた「藻類、植物の構図」「物とこの世界の間には秘められた関係があります。この関係のおかげで、どんな物体も自らの中に閉じこもることはありません。この関係のおかげで、この世界のすべてのものは、私たちに他者について語ってくれるのです。この関係は印象と呼ばれるものです。
印象は、物体の性質に基づくものではありません。印象はすべての存在に関係し、これらを結びつけるものであり、時間には関心を持ちません。
タルボットによれば、光は物に、他者の体の中での第二の人生を可能にさせる、印象の力です。光はあらゆる体を増やし、無の好ましい幻影にしてしまいます。光のおかげで、すべての物は、自らが通った世界の印象を、内に抱き続けることができるのです。すべてのものは常に、出会うものすべてに自らを刻み込んでいるのです。」
6日目:ピエール・ボナール『並木道』(1918年)
「私たちが都会の外へと押しやった森は、私たち生物の生まれ故郷です。木々と体をぶつけ合うことで、私たちの体の組織が形成されたのです。
親指が、他の指と向かい合うようになっているのは、木の枝をつかみやすくするためです。また顔に2つの目があるのは、空間の奥行きをより正確に把握するためです。
木を描くということはまず、私たち生物の誕生よりずっと前の、揺籃期にひたるということです。しかしそれはまた、そして特に、私たちを無名の傑作として生み出した、年老いた芸術家の肖像画を描く危険を冒すことでもあります。」
7日目:クロード・モネ『戸外の人物習作:日傘の女(左向き)』(1886年)
「アトリエや都会を出るということは、視点が自由になるだけでなく、物が支配欲から解放された空間へと、入り込むことです。物は、安全のために距離を保つことはなく、一方通行や専用レーンも守りません。すべては他者の体内にあるのです。すべては他の存在に敏感に生きているのです。
アトリエや都会の外で描かれる絵は、体同士を引き離すことをやめねばならず、形、色、存在と絶対的に近い芸術にならねばなりません。絵画は政治を捨て、気候になるべきなのです。
政治は国家、空間、人種を分断します。気候はこれらを混合します。外出規制の後、私たちは再び都会へと繰り出します。」
エマヌエーレ・コッチャ :
エマヌエーレ・コッチャはパリの社会科学高等研究院(EHESS)准教授。これまでに東京大学、ブエノスアイレス大学、デュッセルドルフ大学、ワイマール・バウハウス大学、ミュンヘン大学にて客員教授、さらにニューヨークのコロンビア大学イタリアン・アカデミーにて研究員を務める。
著作に『La vie sensible』(2010年)、『Le Bien dans les choses』(2013年)、『La vie des plantes』(2016年)、『Métamorphoses』(2020年、いずれもPayot et Rivages社刊)などがあり、数多くの言語に翻訳されている。『La vie des plantes』については邦訳『植物の生の哲学:混合の形而上学』が2019年8月、勁草書房より出版された。また2019年にカルティエ現代美術財団で開催された『Nous les Arbres』展では学術顧問を担当している。
- 2020-05-01 - 2020-06-14