アンスティチュ・フランセ東京の新校舎「Village as Institute」(藤本壮介設計)遂にオープン

 

©北野建設株式会社

 

アンスティチュ・フランセ東京の新校舎が、いよいよ2021年7月5日よりオープンします。6月1日からは築土神社側の入口が再開し、一足先に中庭とテラスをお楽しみいただけます。7月から始まった夏学期の講座は、新しい校舎で行われます。

アンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)は、約70年にわたりフランス語、フランス文化の普及発展に取り組んできました。建築家坂倉準三が手掛けた唯一無二の現校舎には、時代と共に、講演会・視聴覚ホール、メディアテーク、通信教育センター、書店、ブラッスリーが順に付け加えられ、2018年には新たな拡張計画Village as Instituteが着工されました。

建築家藤本壮介の手によるこのVillage as Instituteは、アットホームでありながら同時に驚きと発見に満ちた学びの環境を生み出すことを目的としており、隣接する《プチ・パリ》の愛称で知られる神楽坂と同じく、東京におけるフランス文化の振興に携わります。坂倉準三の構想による現校舎の建築物としての類稀な価値に呼応して、「Village=村」を想起させる藤本の新校舎は、教室、講演会ホール、レストランによって構成され、敷地を覆う豊かな緑と、テラスと回廊に囲まれた中庭を人々は自由に散策することができます。

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アンスティチュ・フランセ東京の建設に携わった二人の建築家

 

坂倉準三と東京日仏学院(1951年~1961年)

坂倉準三は、東京帝国大学で美術史を学んだ後、1929年の夏にパリに渡ります。1931年から1936年にかけてル・コルビュジエのアトリエで学び、シャルロット・ぺリアン等と交流を持ちます。1937年にはこのアトリエで、彼の輝かしい経歴となるパリ万国博日本館の設計を手がけ、オーギュスト・ペレが審査員長を務める審査会により、栄えある建築部門のグランプリを受賞します。その後、1940年日本に帰国してまもなく坂倉は自身の設計事務所を設立し、1951年には、鎌倉の神奈川県立近代美術館、そして東京日仏学院の設計を請け負います。ル・コルビュジエとの仕事を通して坂倉が習得した近代建築においてとりわけ好んで使われる素材、鉄鋼とコンクリートが使われますが、伝統的な手法を用い、日本建築の多くの使用法と形態を取り入れています。その他、建築物としてのアンスティチュ・フランセ東京には「シャンピニオンの柱」と呼ばれるコンクリートの柱や、木製サッシのガラス窓が並ぶファサード「カーテンウォール」、二重螺旋の階段など特徴的な要素が数多くみられます。訪れる人々に親密さと包容力を感じさせる、近代建築運動の傑出した表現であるアンスティチュ・フランセ東京は、2019年に始まる藤本壮介の輝かしいプロジェクトによって、その歴史の新たな局面に入ることとなります。

坂倉棟内の二重螺旋階段は現在立ち入ることができません。どうぞご注意ください。

©DR – 東京日仏学院

 

藤本壮介とVillage as Institute(2021年~)

藤本壮介は、東京大学工学部建築学科を卒業後、2000年に藤本壮介建築設計事務所を設立します。日本国内における数々の作品、Final Wooden House(2008)、武蔵野美術大学 美術館・図書館(2010)、House NA(2011)等を発端に、その名声はやがてヨーロッパに広まり、ロンドンのサーペンタイン・ギャラリー・バヴィリオン(2013)、またモンペリエのラルブル・ブラン(2015)は国際設計競技最優秀賞を受賞します。そして、2017年にフランスのヨーロッパ・外務省は、アンスティチュ・フランセ東京の増築および改修計画にあたり藤本のVillage as Instituteを採択します。「ビレッジ」の様な風景の中庭に入っていくと、そこはテラスや豊かな木々、小道に囲まれており、訪れる人々はそれぞれにくつろぎ環境を楽しんだり、あるいはアクティブに学び発見したりと、様々な用途で活用することができます。

©藤本壮介建築設計事務所 – 「Village as Institute」計画図

既存の建築に新たな建築を組み合わせ独自の空間を生み出すことは、フランス、日本、双方の文化において重要な役割を果たしています。ル・コルビュジエによる「建築的プロムナード」のコンセプトを意識しながら、これらの新設部は、フランスのテラスと日本の縁側のアイディアを採用し、既存の建物に新しい体験を創造することを意図しています。