アンスティチュ・フランセ横浜の歴史
横浜日仏学院の誕生は、1986年、当時の東京日仏学院の教務部長ピエール・マレ氏による語学教育部門の地方分散化の方針に始まります。当時、東京日仏学院は、横浜市役所へフランス語講師を定期的に派遣していました。
1988年、フランス語学教育に大きな関心を示す横浜市と当時クリスチャン・サグリオ氏が院長を務める東京日仏学院間で公的協定のもと、横浜日仏学院設立の計画が持たれます。1990年5月11日、横浜市長高秀秀信氏とフランス大使ベルナール・ドラン氏により、300㎡の広さと生徒数250人規模の日仏学 院が横浜に設立されました。
2005年5月には、横浜日仏学院誕生15周年を迎え、フランス大使ベルナール・ド・モンフェラン氏と横浜市長中田宏氏によりの拡大が進められ、ツーフロアー(535㎡)、全10教室へと増床し、さらに翌年には学院内の改装を行いました。現在では、年間で生徒数およそ1000人、登録者数は3000余りに及びます。横浜日仏学院は、市の支援、地元美術館、大学 などとのパートナーシップによりますます進展しています。
文化都市として国際交流が盛んな横浜をさらに活気付けようと、外務省の指名により、フィリップ・ラルーが院長に着任したのは2005年のことです。この年より始まった「フランス月間」は横浜市が主体となり毎年6月に行われ、横浜日仏学院はこのイベントに積極的に参加することで街の文化活動において重要な役割を担っています。
創立20周年の節目となった2010年からは、フランス月間での活動の業績が認められ、それまでのイベント運営母体であった財団法人・横浜観光コンベンション・ビューローより、フランス月間全体の運営の移管を受けました。この年のオープニングセレモニーでは、フランス大使フィリップ・フォール氏と現横浜市長林文子氏の初の歓談が実現しました。
また、2012年9月より、東京日仏学院の支部だった横浜日仏学院は、アンスティチュ・フランセ日本グループの一員、アンスティチュ・フランセ横浜に生まれ変わりました。横浜市との結びつきがより強まり、ダンストリンナーレのオープニングでは、横浜市長林史子氏とフランス大使クリスチャン・マセ氏の会談が行われました。
アンスティチュ・フランセ横浜 歴代学院長
- フランシス・メジエール:1990~95年
- アラン・ラメット:1995~99年
- ファブリス・ルカントレック:1999~2002年
- イヴ・ルトーネル:2002~03年
- アンヌ=マリー・ルソー:2003年~05年
- フィリップ・ラルー:2005年~2010年
- レベッカ・リー:2010年~現在
アンスティチュ・フランセ横浜 教務部長
- アンヌ=マリー・ルソー:2005年~06年
- ステファン・オリヴェル:2006年~2008年
- エヴァ・マルタン:2008年~現在